ブログを利用して『一樂信雄の自分史』のタイトルのもとに書き始めましたが、書く順序にこだわり過ぎるとなかなか書けないことに気付き、わが人生に関係のあることは順序にこだわらず書きとめることに方針変更しますので、よろしく。
2014年12月18日木曜日
徳島の田舎へ
my historyを書こうと思い立ったが、ちょっとしたことで続かなくなってしまっていた。
その原因は、祖母の名前がどうしても思い出せずに時間が経ってしまったのだが、
ひょんなことから思い出した。
その名は、「タケ」さん。旧姓は牧野さんという家から嫁入りしたということだが、
わたしたちが疎開したころには実家は同じ町にあり、農家だったようだ。
甥っ子だという人が陸軍から戦後退役したということで祖母を訪ねてきたことが
あったのを覚えている。
ずんぐりむっくりという体格の人で、珍しい名前でツナオ(綱男)さんと云ってました。
名前としては珍しい部類なので、よく憶えている。
父が養子に入った家は、実の父の兄の家で、それが一樂善蔵とタケさん夫妻の家。
私の祖父母に当たるわけ。
私が国民学校4年の4月からは、その祖父母の家から通うことになった。
体育館は小さいし、跳び箱は汚いし、同級でも青っ鼻を垂らしているのがいたりして、
やはり東京の学校とはずい分違うというか、子供心に地方と都会の格差を感じた
というと、オーバーかな?
忘れないうちに書き留めておくと、疎開先の祖父母が住んでいたのは、徳島県那珂郡
羽ノ浦町大字岩脇字町筋20番地の3だったとおもう。現在は羽ノ浦町が土地を買い
上げて、消防車の車庫として使用しているのではと思う。
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