夢を加えたのにはわけがあります。私は、昨年の3月末まで大学で教員をしていたのですが、新入生には将来の夢はということをきくようにしていたのですが、私には考えられないような返事がとても多かったのです。
まず、「とくにありません。」というものが非常に多いのです。そして、さらに「あいた口がふさがらない」とはこのことだというようなことを平気でいうのです。「もっと遊びたいですからね。」というのです。私はこれを言われた時は、一瞬なにを言ってるのかが分かりませんでした。
それは、大学へでも入らなければどこかに就職をしなければならない、したがってまだ働かないで遊びたいからこの大学へ来たというのです。それが一人や二人でないことに私はほんとに驚きました。ですから、こういう学生たちは最初から専門の勉強をして社会へ出て困らないようにしようとか、社会貢献をこういうことでしようとかいう気概を感じる学生が全体の1割にも満たない程度なのです。
まあ、東大をはじめ一流大学ならそういうこともないのでしょうが、いわゆるF大学すれすれのレベルの大学へ入ってくる学生にはこういう子ども=若者がとても多いということです。私たちの世代はそんなことはなかったように思います。それだけに大学教育はどうあるべきかなどと、こちらが真剣に考えてものってくる学生は1割いればいいほうだということになっているのが現状なのです。
結局、我々以後の世代が残した高度成長の恩恵に浴して夢もなくぬくぬくと育っている、恵まれた子供たちがあまりにも多いということなのでしょう。将来の天下国家や国のかたちを考えずとも生きていける環境ということなのです。しかし、こういう若者に接するにつけなんと今の閉塞感にそれほどの文句も付けないで大人しくしているのか、とても歯がゆい感じがするのは私だけでしょうか。
ところで、わたし自身は、まだそんなに老人とは思っていないし、仕事もあれば何でもする覚悟はあるのですが、私が専門とする教育の仕事は未だ見つからず少々焦ってもいる感じになっています。区のシルバー人材センターのガイダンスに参加もしなければと思っています。先日、世田谷区内の新聞販売所でPC入力と集金の仕事ができるパートタイマーを募集していたので、応募しましたが、年齢ではねられてしまいまいた。若者も仕事がない最近の情勢では年寄りいじめもやむを得ないところもあるのかと考えてしまいます。
それにつけても徳島県の勝西町の『葉っぱビジネス』は、わたしのこのモットーを実現していると感じています。これを仕掛けた××さんは素晴らしいと思います。余談ですが、わたしは、かって国民学校4年から中学1年まで徳島に暮らしたこともあり、一度訪ねてみたい町の一つになっています。
新年が始まりもっと前向きな話題を書こうと思いながら以上のような中身になってしまいました。
以上で新年最初のブログはこれで失礼します。
0 件のコメント:
コメントを投稿