2011年1月のブログで日フィルのことを書き、いずれ何故日フィルかをテーマに再度書くと予告してから8年以上が経ってしまった。
今は亡きマエストロ渡邉暁雄(あけお)さんについては知る人も少なくなったが、今年は彼の生誕100年の年でもあり、記念演奏会を含めていくつかのイベントが開催される。
私が大学生になった1953年には東フィルの常任指揮者として活躍されていた。 その頃、クラシックのコンサートは日比谷公会堂が主で、まだもない時代で、東フィルいわゆる名曲コンサートは神田共立講堂で開催された。色々なソリストを迎えての公演があり、そこへもよく通った。
私が大学生になった1953年には東フィルの常任指揮者として活躍されていた。 その頃、クラシックのコンサートは日比谷公会堂が主で、まだもない時代で、東フィルいわゆる名曲コンサートは神田共立講堂で開催された。色々なソリストを迎えての公演があり、そこへもよく通った。
当時、私は東フィル以外にもN響や東響、海外からのオケやソリストもよく聴きに行ったのだが、それにもまして渡邉暁雄さんが私の生涯のうちでも一番影響を受けた音楽の先生なのである。これを説明するにもこれまたいくつかの記しておかねばならない事実がある。
東フィルの歴史的なことの中で重要なことだと私は考えているのだが、向坂正久さんが企画運営していたものに「東フィル友の会」というのがあり、私も大学へ入学して間も無い頃に入会した。この縁で向坂さんとは終生の先輩として懇意にしていただき、彼を通じて渡邉暁雄さんを京橋のブリヂストン美術館のセミナーで紹介されることになる。
それは東フィル友の会の企画で、毎週のように京橋のブリヂストン美術館のセミナールームを借りてクラシック関連のセミナーが開催された。主な講師は渡邉暁雄さんで他にも当時の有名な音楽学者や評論家~例えば、山根銀二、辻壮一、深井史郎さんなどが講師をされた。
渡邉先生のテーマは、バッハに始まりモーツアルト、ベートーベン、ブラームスの名曲のアナリーゼはもちろん、「ソナタ形式とは」、「トッカータとフーガとは」、「サラバンドとは」、などなど。全て先生自らピアノを弾いて解説をしてくださった。
特に印象に残っているのは、当時一般にはまだLPは輸入物しかなく1枚が3,800円もしたにも関わらずベートーベンのシンフォニー第5番『運命』を何枚も持参され、それらを聴きながら指揮者によっていかに違うかなどについても話された。他にもブラームスのシンフォニーの1番は「何故ベートーベンの10番と呼ばれるのか」やベートーベンのヴァイオリン協奏曲のアナリーゼなど、音大の学生でなければ聞けないような講義を友の会でされたのです。
この向坂正久氏とは早稲田の学生の時代からコンサートの企画などもしており、一方「日本モーツァルト協会」の創立にも関わった方です。『東フィル友の会』の企画したセミナーがどの期間に何回開催されたかの記録は今の所見つかっていないが、2002年に出版された『ブリヂストン美術館50年史』には特に東フィル友の会の名称は出てこないが、これらの中で私が出席したセミナーをピックアップしてみた。
日時 テーマ 講師
1954-11- 7 『音の感じ方』 渡邉暁雄
1954-11-14 『音楽史における宗教音楽の位置』 野村良雄
1955- 1-23 『指揮について』 渡邉暁雄
1955- 2-13 『バッハのカンタータ』 辻 壮一
1955- 5-15 『ベートーベン第九交響曲の聴き方』 渡邉暁雄
1955- 9-25 『バルトーク十年忌に際して』 柴田南雄
1955-10- 2 『ベートーベンのヴァイオリン協奏曲』渡邉暁雄
1955-11- 6 『無調音楽の成立』 入野義郎
1956-10-21 『バッハ』 辻 壮一
1956-11-11 『オーケストラ指揮の話』 渡邉暁雄
他には上にも述べたように暁雄先生からはレコード・コンサートでも解説を様々なテーマでしていただいた。これ以外にも東フィルの定期や共立講堂でのコンサートをかなりの頻度で指揮されていたのだから、当時の暁雄先生がいくら30代とはいえ凄いことだったと思う。
その後、私が大学4年になった年に渡邉暁雄さんが文化放送の専属オーケストラとして日フィルを創設。その間の事情については草刈津三さんが書かれた『私のオーケストラ史−回想と証言–』にくわしいが、当時は民放初の専属オーケストラということで話題になった。
その年の9月23日に日フィルの披露宴演奏会が日比谷公会堂で開催され、わたしも高校時代の友人二人と行ったのだが、その時受付には向坂先輩が立ってお客様を迎えていて暁雄さんと行動を共にされたのだということを知り、びっくりしたのを覚えている。
この日フィルの演奏は、「魔笛」の序曲で始まりコンサートマスターがブローダス・アールでその横にはN響のコンサートマスターだった岩渕龍太郎が陣取っていたのでこれにもびっくりした。そしてフルートは東響にいた林リリ子と峯岸壮一、オーボエは鈴木清三、ファゴットは戸沢宗男、チェロは松下修也、ヴィオラ河野俊逹はじめ多くは東響・東フィルの舞台で顔馴染みの方々が多くいたので当時の腕利きの面々を引き抜いで編成したのだなあと、これまた驚いたのです。
セミナーを通してマエストロの薫陶を受けた者としては、この披露演奏会のあと渡邉暁雄先生との日フィルの音を録るには文化放送へ入るしかないという思いが強くなり、忘れもしない11月3日の文化の日に入社試験が上智大学であった。この1956年は景気も上向いていたのか、幸いにも採用人員も多く合格できたのである。
そして翌年3月末に一週間の社内新人研修会があり、そこでもアケ先生が講師をされました。最後に質問を誰もしないので、生意気にもこれからのプログラム・ビルディングに注文をつけたりしても、それも優しく頷いてくださったことなど、様々な想い出が蘇ります。
未完!!!!!!!!!!!